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大阪地方裁判所 昭和30年(わ)1359号 判決 1963年3月19日

被告人 大井文朗

明二九・九・六生 和泉給食センター手伝

主文

被告人を懲役八月に処する。

但し本裁判確定の日から壱年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用中証人武内節に支給した分(但し昭和三十年十二月六日及び昭和三十一年七月二十日に支給した分)は被告人の負担とする。

本件公訴事実中

各業務上横領、(昭和三十年五月十七日付起訴状記載の第一の(一)乃至(三)、第三の各公訴事実、同年七月十一日付起訴状記載第一の公訴事実職業安定法違反(右起訴状記載の第二の公訴事実)食糧管理法違反(同第三の公訴事実)の点については被告人はいずれも無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は大阪市住吉区万代西六丁目二十二番地所在の児童福祉施設である養護施設財団法人(のち社会福祉法人となる)弥栄学園の園長として同学園の経営、管理に当ると共に同学園収容児童らの養護等に従事していた者であるが学園収容児が疾病により治療を受けた場合その医療費は大阪府に請求して児童の保護養育に要する経費として大阪府よりこれが支給を受けていたところ、昭和二十七年四月頃、右学園指導員武内節からその実弟武内靖が骨髄炎に罹り同市同区南加賀屋町所在の南大阪病院に入院治療を受けた際右実弟に替え同学園収容児小松幹仁があたかも右病院に入院治療を受けたかの如く装い大阪府から同人名義の医療費の支給を受けることについて了解を求められこれに同意し茲に右武内節と共謀の上

第一、同年五月頃同市東区大手前町大阪府民生部児童課で同課長松下文雄に対し前記の如く右学園収容児小松幹仁が右南大阪病院に入院治療を受けた事実がないのに恰もその事実がある如く装い同病院名義の小松幹仁の同年四月十八日から同月三十日までの医療費請求書を添えてその支給方を請求し右松下課長をしてそのように誤信させ因つて同年六月二十五日頃右学園で府係員から小松幹仁の医療費名下に金額九千三百円のいわゆる金券の交付を受けてこれを騙取し、

第二、同年六月頃前記大阪府民生部児童課で前記松下課長に対し前同様の手段方法で右小松幹仁名義の同年五月分の医療費の支給方を請求し前同様松下課長を誤信させ因つて同年九月二十五日頃、前記学園で府係員から小松幹仁の同年五月分の医療費名下に金額一万四千十二円五十銭のいわゆる金券の交付を受けてこれを騙取し

たものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

刑法第二百四十六条第一項、第六十条

第四十五条前段、第四十七条本文、第十条、第二十五条第一項、刑事訴訟法第百八十一条第一項本文

(業務上横領、職業安定法違反、食糧管理法違反の各公訴事実についての判断)

被告人に対する昭和三十年五月十七日付起訴状記載の公訴事実(昭和三〇年(わ)第一三五九号)によると、

被告人は大阪市住吉区万代西六丁目二十二番地所在財団法人(後に社会福祉法人)弥栄学園々長同理事であり且一定の学園収容児童についてはその親権代行者であつて同学園の経営財産の管理収容児童の財産の保管等の業務に携つていたものであるが

第一、(一) 昭和二十八年六月十六日頃同学園収容児童吉田邦夫、同勝美に支給される遺族年金として国庫より現金一万円の支給を受け同人らのためその業務に関し保管中その頃擅にこれを右両名に交付せず右学園において自己の生活費等に充当すべく着服して横領し、

(二) 同年九月十一日頃前同様吉田邦夫、同勝美に支給される遺族年金四千百六十二円を受給し同人らのためその業務に関し保管中その頃擅に前同様方法により着服横領し、

(三) 昭和三十年三月十一日頃前同様吉田邦夫、同勝美に支給される遺族年金一万円を受給し同人らのためその業務に関し保管中その頃擅に前同様方法により着服横領し、

第二、昭和二十七年六月二十五日頃大阪府より同学園収容児童西山宏の南大阪病院に支払うべき医療費として金一万四千七十五円の支給を受けその業務に関しこれを保管中その頃擅にこれを右西山あるいは南大阪病院に交付せず同学園において自己の生活費等に充当すべく着服して横領したほか

(1)  同年八月二十六日頃  一万五千六十二円五十銭

(2)  同年九月十七日頃   一万四千二百七十八円七十五銭

(3)  同年同月二十七日頃  一万六千二十七円五十銭

(4)  同年十二月二十七日頃 三千六百円

をそれぞれ大阪府より西山宏の南大阪病院に支払うべき医療費として支給を受けその業務に関し保管中その都度前同様の方法で着服横領し

たものである。

というにあり、

また昭和三十年七月十一日付起訴状記載の公訴事実(同年(わ)第一八五二号)によると

被告人は大阪市住吉区万代西六丁目二十二番地所在の財団法人(のちに社会福祉法人)児童福祉法所定養護院施設(のちに養護施設、更に精神薄弱児施設に転換)である弥栄学園に長として同学園に一定の児童を収容し、且、住吉地区の保護司として大阪少年保護観察所あるいは大阪家庭裁判所の委託により保護児童を預り収容及び保護委託にかかる児童を適宜農家等に手伝人として委託し稼働就職

せしめていた者であるが

第一、同学園収容及び保護委託児童中農家等に委託された児童を以て「幸福の村」貯蓄組合を結成し、自らその組合長として各児童の貯金の集金、保管等の業務を担当していたが別表第一記載のとおり昭和二十五年八月二十六日頃農家委託の児童田甫良一よりその貯金として金四千七百四十円を預りその業務に関し保管中その頃これを擅に前記弥栄学園において同組合の預金元帳に入金として記載せずして自己の用途に充てるため着服横領したほか同年十月頃から昭和三十年三月十四日頃までの間前後四十五回にわたり藤本勇ほか十八名より預りその業務に関し保管中の預金合計八万四千四十五円を夫々記載の方法により前同様着服横領し

第二、同学園収容及び保護委託児童を農家等に委託し手伝人として就職せしめるに際し労働大臣の許可を受けずして別表第二記載のとおり昭和二十四年頃から昭和三十年三月頃までの間大阪府岸和田市池尻町五百三十一番地川中良文方ほか百四十八名方に各記載の児童を農業等手伝人として夫々職業の斡旋を為して就職させその際交通費、謝礼あるいは謝恩会費等の名義で各雇傭主より報酬金合計十六万九千八百五十円を受領し以て有料の職業紹介事業を為し、

第三、法定の除外事由がないのに昭和三十年三月二十七日頃大阪市住吉区万代東六丁目十五番地大野安太郎方において佐野清に対し粳精米二百五十四キログラムを代金二万三千七十一円で売渡し

たものである。

というにある。

右各公訴事実に対し被告人及び弁護人の主張する要旨は次のとおりである。すなわち、

一、昭和三十年五月十七日付起訴にかかる公訴事実中

(一) 第一の吉田兄弟の遺族年金横領の公訴事実については

被告人が受取つた遺族年金はすべて被告人個人名義の当座預金に被告人個人の財産及び事業資金と共に預け入れて保管し、必要なとき引出し生活費及び事業費に使用し、吉田兄弟に渡すべき時にはいつでも引出して渡すつもりであつた。また当時被告人は右兄弟の後見人に選任されていたものであるから右遺族年金についても後見人として管理権を有して居りその管理計算は後見の任務終了のときすれば足りるものである。したがつて、右年金についても後見人として如何様に処理してももとより正当行為として何ら違法性はない。

(二) 第二の西山宏の医療費横領の公訴事実については、大阪府より西山宏の医療費として検察官主張の各金員を受取つたことは認めるが右は児童福祉法第五十条第七号にもとずいて大阪府より被告人経営の施設に対して支給された委託費に含められるべきものであるからこれは当然学園の予算に組入れられその形は学園のものとして取扱はれるものである。したがつて南大阪病院に対する医療費の支払も学園の所有に帰した金員により学園自らが自らの債務として支出して支払うものであつて、大阪府に代つて被告人が支払うものではない。而も本件医療費は前同様の方法で保管し、引出し使用していたものでその後分割払の方法によつて完済し被告人が右金員を自己の為に着服した事実はない。

二、昭和三十年七月十一日付起訴にかかる公訴事実中

(一) 第一の学園収容及び保護受託児童の貯金横領の公訴事実については、

本件貯金の目的に主として児童の更生の暁においてこれを清算して引渡しその自活の資に充てると共に児童に貯蓄の喜びを味はせ、これにより更生を促進するにあつたもので、被告人は自己を親の如く敬慕し信頼する児童らからその処理を一任され被告人も児童の必要なときはいつでも清算して引渡しできるようこれを保管していたものである。唯その管理運営の面において事務が煩雑であつた為検察官指摘の如き記帳に杜撰な点があり収支計算については必ずしも正確を期し難いものがあつたけれどもその故に被告人が児童の貯金を領得する意思がありとは言い難くまたその事実は毫もない。

(二) 第二の職業安定法違反の公訴事実については、

被告人が検察官主張の各児童を農家等に手伝人として住込ませたことはあるが右は児童らの補導の方法としていわゆる職親制度に準じて農家等に委託しその更生を図ろうとしたものでそれには関係の家庭裁判所、保護観察所、児童相談所等から委託を受けたものもあるのである。したがつて検察官主張の如く報酬を得ることを目的として職業紹介をしたものではない。被告人が農家等から受取つた金員も交通費の実費等でいわゆる社会的儀礼に過ぎず報酬では決してない。

(三) 第三の食糧管理法違反の公訴事実については

被告人は佐野清に粳精米を売渡した事実はない。

唯、被告人がその配給を受けるべき権利を放棄したところ同人がその配給値と、いわゆる闇値との差額を受取つてくれというので三千六百円を受取つたに過ぎず而もその金員はその後返還したと主張する。

当裁判所は本件において取調べた全証拠を検討した結果右各公訴事実については次に述べる理由によりいずれも無罪と考えるものである。

ところで右公訴事実の判断に先立つて被告人の経歴就中被告人がこれまで行つて来た児童、少年保護事業についてこれを明かにしておく必要がある。けだし本件は被告人の行う右保護事業の運営の過程において発生したものでありその判断に当つても右事業についての深い認識と理解を必要とするからである。

第一、被告人の経歴について、

被告人は商業学校卒業後神道教会を建て神道布教師をしていたが昭和六年児童保護事業の道に入り昭和八年には神道教会を児童収容施設に解放し、不良児等の保護更生につとめ、昭和十二年肩書本籍地に児童収容施設を建てこれを「弥栄学園」と名付け本格的に児童、少年保護事業にたずさわるようになり、昭和十四年社会事業法による保護室を、次で昭和二十三年七月児童福祉法による教護院を設置翌二十四年これを財団法人組織とし、昭和二十五年十一月に養護施設に変更、昭和二十七年には社会福祉法人に切替え更に昭和二十九年一月精神薄弱児施設に転換し、いずれも右各施設の長としてその経営に当りその間昭和二十四年には司法保護司にも委嘱され大阪家庭裁判所、大阪保護観察所、大阪中央児童相談所より委託を受け多数の児童、少年及び法外児童等をその施設に収容し被告人の家族と共に被告人畢生の事業として薄倖の児童等の補導、保護観察等その更生、保護に苦心努力を重ねて来たものである。

以上の事実は被告人の当公廷の供述、司法警察員に対する昭和三十年四月五日付供述調書、押収にかかる社会事業届書類綴(証第一号)児童福祉施設認可書綴(証第二号)児童福祉施設種別変更認可書(証第三号)送致書(証第四号)幸福の村台帳(証第七号)を綜合してこれを認めることができる、

第二、本件公訴事実に対する判断

一、遺族年金横領の公訴事実に対する判断

被告人の当公廷の供述、司法警察員に対する昭和三十年五月十日付供述調書証人吉田邦夫(第二回公判調書)同武内節(第三回公判調書)の各供述記載、住吉郵便局長の遺族年金支払状況についてと題する回答書を綜合すると吉田邦夫、同勝美の兄弟は昭和二十六年八月大阪中央児童相談所より被告人経営の弥栄学園(当時は養護施設)に養護児童として委託送致があつて収容された児童であるが、両名の父は今次大戦で戦死、母も兄も死亡し姉は所在不明の状態であつたところ、昭和二十八年四月頃、戦没者の遺族としての右兄弟に対し遺族年金(戦傷病者戦没者遺族等援護法参照)が支給されることとなりその旨所轄の住吉区役所より兄弟に対する年額一万円の年金証書が被告人の許に届けられたので被告人はその旨を兄弟に告げると共に同人らが成人した場合渡してやるからそれまで自分の手許でこれを預つておく旨を話しその了解を得た上爾来国より兄弟に支給される年金を兄弟に代り受領保管していたこと。而して検察官主張の如く弥栄学園の指導員武内節を介して

(1) 昭和二十八年六月十六日頃に一万円

(2) 同年九月十一日頃に四千百六十七円

(3) 昭和三十年三月十一日頃に一万五千円のうち一万円

を受領しこれを被告人の三和銀行阿倍野橋支店の予金口座に預入れていたことが認められる。

ところで被告人が右認定の如く吉田兄弟に代り遺族年金を受取り保管することについてその権限があつたのかどうかについて考えて見ると児童福祉法第四十七条第一項によれば「児童福祉施設の長は入所中の児童で親権を行う者又は後見人のないものに対し親権を行う者又は――後見人があるに至るまでの間親権を行う……」旨規定されて居りその親権の範囲については何らの制限なくまた施設の長を親権代行者とした立法の趣旨を考えると右親権の範囲は未成年者の監護教育のみに限らず財産管理権をも包含するものと解すべきところ、被告人は前認定のとおり当時知事の認可を受けた児童福祉施設の長であり吉田兄弟はその施設に入所していた児童であつたほか、裁判所書記官補作成の審判書謄本によると被告人は昭和二十九年十一月三十日右兄弟の後見人に選任されていたことが認められるから、被告人は後見人に選任されるまでは前記児童福祉法の規定により吉田兄弟の親権代行者として、また後見人に選任されたのちは後見人として、それぞれ右兄弟に代り前記遺族年金を受領し保管する権限を有していたものということができる。検察官は右遺族年金は被告人においてこれを吉田兄弟に交付しないで自己の生活費等に充当すべく着服横領したとし、その根拠として年金はもともと遺族である吉田兄弟に交付すべきものであり、仮にこれを自己が保管する必要を認めた場合でも自己の金員との混同を避ける為当然両名の為の預金口座を設ける等して誠実に保管しなければならないのに右の方法をとらないで自己の預金口座に自己の金と一緒に預入れているのであつてそのこと自体着服の意思があつたものと主張するけれども右兄弟は当時年令十才前後の而も智能程度も極めて低い児童であり、年金を両名に手交することの適切でないことは自ら明かである。したがつて施設の長としてその親権を代行する被告人がこれを受領し保管することこそ最も適切な措置であると考えられる。唯その方法においてあるいは検察官のいう如く年金を他の金員との区別する為兄弟の為の別口座を設けて預け入れ自己の預金との混同を避けるようつとめることは望ましいところであるが、もともと遺族年金は一定の時期に一定の金額を支給されるものであり、その管理計算も左程複雑なものとも考えられないし、またそれは特定物として交付を受けたものではなく単に一定の金額として交付を受けたもので価値そのものと考えられるべき性質のものであるから被告人において特に意図するところがあれば格別そのことについて十分な証拠の認められない本件においては被告人のような保管方法も保管の一手段たるを失はずこのことを以て直ちに被告人に不法領得の意思の発現行為と即断することは行為の外観のみにとらわれた見解であつて当を得ない。仮に右の預金を引出したことがあつたとしても被告人の預金と吉田兄弟の年金との両者は一体を為し、何れの預金を引出したかその判別は困難であるしまた仮に被告人が親権代行者あるいは後見人としての注意義務(それぞれ義務の程度は異るが)に違背し自己の個人的利益の為にこれに消費した(本件においてこれを認めるに足る証拠はない)としても被告人は前認定のとおり吉田兄弟の親権代行者あるいは後見人として財産管理権を有していたものであるからその処分権を有していたものというべきであり、それが特に吉田兄弟に対し損害を加える意図のもとに為されたものでない限り一応自己の権限の範囲内の行為として違法性を欠くものというべくそのことを以て直ちに横領罪を構成するものとは解せられない。もつともそのことによつて子に損害を与えたときは損害賠償義務を負いまた親権者の管理の失当として管理権の喪失あるいは後見人解任の一原因となり得ることのほか後見の任務終了の際管理計算を為し消費した金銭に対し利息を付する義務のあることは勿論であるがこのことは刑事上の責任とは別個の問題である。

二、医療費横領の公訴事実に対する判断

被告人の当公廷の供述、及び司法警察員に対する昭和三十年五月九日付供述調書証人西山宏及び同芝田佐一郎の第七回公判調書中の各供述記載、大阪府民生部長作成の「児童福祉法による医療費の支弁について」と題する書面、中川忠一作成の西山宏診療費明細、押収にかかる昭和二十七年度届出書類綴(証第十九号)等によると前記弥栄学園に収容されていた児童西山宏が昭和二十七年三月頃から南大阪病院に入院していたこと、同学園の長である被告人において、大阪府知事に対し右入院児童の医療費の請求をしその結果府知事から

(1) 昭和二十七年六月二十五日頃に一万四千七十五円(同年四月分)

(2) 同年八月二十六日頃一万五千六十二円五十銭(同年六月分)

(3) 同年九月十七日頃一万四千二百七十八円七十五銭(同年七月分)

(4) 同月二十七日頃一万六千二十七円五十銭(同年五月分)

(5) 同年十二月二十七日頃三千六百円(同年八月分)

計六万三千四十三円七十五銭の支給を受けたことが認められる。検察官は右医療費は西山宏に対する医療費として支給を受けたものであるから同人あるいは南大阪病院に支払うべきもので被告人が自由に処分し得べき性質のものではないと主張するが児童福祉法第五十条によると左の各号に掲げる費用は都道府県の支弁とするとされ、その第七号において「都道府県知事が第二十七条第一項第三号に規定す措置(すなわち児童福祉施設に入所させる等の措置)をとつた場合において入所又は委託に要する費用及び入所後の保護又は委託後の養育につき第四十五条の最低基準を維持するために要する費用」が掲げられて居り右第四十五条には児童福祉施設の設備及び運営についての最低基準は厚生大臣の定めるところとされている。したがつて右弥栄学園も府知事から委託されて入所した児童についてはその入所後、保護、養育につき右の最低基準を維持するために要する費用(これを以下措置費という)の支弁を受けることができたものである。ところで右措置費は(1)事務費(2)事業費(3)その他の措置費に分けられており本件の医療費は右(3)のその他の措置費の範疇に属するものとされているところ、前掲府民生部長の「児童福祉法による医療費の支弁について」と題する書面によると医療費も児童福祉施設に委託した児童の保護、養育に要する経費として児童福祉法第五十条第七号にもとずいて知事が支弁することとされていることが明かであるから医療費として特別に支弁されるものではなく措置費としてこれが支弁が為されていることが認められる。そうだとすれば被告人が大阪府より支弁を受けた前記医療費も名目は医療費として支弁を受けたものであつてもそれはいわゆる措置費の一部として支弁を受けたものというべきであるから、右金員は府から支払を受けたときにおいて弥栄学園の収入となりその所有に帰すべきものである。したがつて右金員は被告人が府の金員を府に代つて病院に支払う為にこれを預り保管している性質のものではなく自己所有の金員を自己が保管しているものというべきであるからこれを被告人が南大阪病院に西山宏の医療費の支払に充てることは自己の同病院に対する債務を自己の金員で支払うものであつて、府または西山宏の病院に対する債務を代つて支払うものと見るべきではない。してみると被告人がいわゆる措置費として府から支弁を受けた本件金員もこれを医療費以外の学園の経費等に使用したとしても因より自己所有の金員の使用として許されるものというべくこれを違法視するのは当を得ない。したがつて検察官のいう如く被告人が本件医療費を自己の用途に使用したとしても自己所有の金員の使用であつて横領罪を構成するものではない。

三、児童貯金横領の公訴事実に対する判断

(一) 被告人の当公廷の供述及び司法警察員ならびに検察官に対する各供述調書、証人藤本勇(第九回、第十二回)竹内一造、稲岡晃(以上第十二回)高淵貞司、梶佐太郎(以上第九回)田中武仁、檜原義知(以上第十三回)藤原勢太郎、貝淵武吉(以上第十八回)の各公判調書中の各供述記載、高淵貞司、田甫良一、貝淵武吉、竹内一道、稲岡晃、鶴巻武次、勝元吉一、桜井健治、小柴正一、上野寿子、奥野郁、久保光治、松本永進、西浦為之、松本政太郎、梶佐太郎、松原義和、北島満博、田中政枝、川見吾一、船富彦和、山中好一、辻貞雄、笹原よしの、中野清、川中安雄、吉野谷正夫、鍬場弘、南清二、小松勇、西川俊幸、土井佳一、角谷太郎、小松幹仁の司法警察職員に対する各供述調書、押収にかかる「幸福の村」台帳(証第七号以下単に台帳と称する)「いやさか新聞綴(証第六号)普通預金元帳(証第九号以下単に元帳と称する)を綜合すると、右公訴事実(昭和三十年二月十一日付起訴状記載第一の公訴事実)記載の各被害者が被告人経営の前記弥栄学園に収容または保護委託中の児童または少年であつて、更に被告人により農家等に委託されていたこと、被告人において昭和二十五年五月頃から右児童らを農家等に委託するに当り各委託先と話し合い児童らが委託先から受ける賃金の中から一定額を貯金として集金する等の方法によりこれを預り保管していたこと、而してこれを「幸福の村」貯蓄組合(一名、こども銀行)と名づけ自らその組合長となつてその運営に当つていたことが認められる。そこで先づ各被害者毎に本件において取調べた関係の各証拠によりその預り額について検討することとする。

(1) 田甫良一の貯金

(イ) 別表第一(1)の四七四〇円について

田甫良一が高淵隆吉こと高淵貞司方に委託されて働いていた昭和二十五年七月五日頃から昭和二十七年三月初め頃までの間被告人が田甫良一の貯金として高淵貞司方から預つた金員が約六、〇〇〇円位あつたこと、ところが前掲被告人備付けの元帳には昭和二十五年八月二十六日から昭和二十七年一月二十一日までの間に計二、九〇〇円のみを預つた旨の記載がある一面昭和二十七年三月二日から同月五日までの間に計一、六四〇円の払戻しが為された旨記載されて居りまた台帳によると「昭和二十六年十一月二十八日田甫の貯金が五、〇〇〇円に達した」旨及び「同年三月二日五〇〇円引出」した旨の記載が為されて居る。以上の点から考えて被告人が当時田甫の貯金として約六〇〇〇円預つたことが推認できる。

(ロ) 別表第一の(19)の一、〇〇〇円について、

田甫良一が梶佐太郎方に委託されて働いていた際昭和二十七年三月六日田甫の貯金として一、〇〇〇円を預つたこと、しかるに前掲元帳にはその旨の記載がないこと、

が認められる。

(ハ) 別表第一の(27)の一〇〇〇円について、

田甫良一が山中好一方に委託されて働いていた際昭和二十七年十月十三日頃、同人から前同様の趣旨で一、〇〇〇円を受取つたこと、しかるに前掲台帳、及び元帳にはその点に関する記載が為されていないことが認められる。

(2) 藤本勇の貯金について、

(イ) 別表第一の(2)の二〇〇円(3)の五〇〇円(4)の二〇〇円(5)の一〇〇〇円について、

藤本勇が貝淵武吉方に委託されて働いていた際同人から藤本勇の貯金として昭和二十五年九月下旬頃から四ヶ月間毎月五〇〇円宛受取つていたもののようであるのに前掲元帳には「昭和二十五年十月二日三〇〇円」「同年十二月一日三〇〇円」の入金があつた旨の記載があるに止まり、十一月の入金については何らの記載も為されて居らず、却つて昭和二十六年三月三十一日に一〇〇〇円引出した旨の記載が為されていることが認められる。

(ロ) 別表第一の(20)の一〇〇〇円について

藤本勇が檜原義和方に委託されて働いていた際昭和二十七年三月頃同年二、三月分の貯金として計一、〇〇〇円を受取つたこと、しかるにその点については台帳にも元帳にも何らの記載が為されていないことが認められる。

(ハ) 別表第一の(22)(23)(25)の各一〇〇〇円について、

藤本勇が田中政枝方に委託されて働いていた際昭和二十七年四月二十九日に貯蓄として一〇〇〇円(22)を受取つたことは認められるけれどもその他の(23)(25)の各一〇〇〇円については被告人の自白(司法警察員に対する昭和三十年六月三十日付供述調書)があるだけでこれを裏付ける証拠はない。もつとも田中政枝の前掲供述調書によると四月二十九日に藤本の分として一〇〇〇円以後四ヶ月位毎月集金あり計四〇〇〇円渡した旨の供述があるが果してその日時が六月三十日((23))あるいは七月中頃(25)であるかどうか極めてあいまいなものがあり、而も藤本勇作成の昭和三十年八月二十五日付供述書によると(23)(25)の各一〇〇〇円は「でたらめ」である旨記載されていることを考え合せ右田中政枝の供述調書を以て自白の裏付けと為し難い、よつて右(22)については格別(23)(24)についてはその証明が十分でないというのほかはない。

(3) 竹内一造の貯金

別表第一の(6)の二、三〇〇円についての検察官の主張によると竹内一造が壺井義正方に委託されて働いていた昭和二十五年五月頃から昭和二十六年五月十八日頃までの間計二、七〇〇円の貯金を受取つたのに当時これを元帳に記載しないで昭和二十六年七月に至り昭和二十五年七月二十三日三〇〇円と一〇〇円の二口の入金があつた旨記載しその差額二三〇〇円を横領したというにあり、被告人(司法警察員に対する五月三十一日付供述調書)及び壺井義正(司法巡査に対する供述調書)の各供述調書によると検察官の主張に沿う供述記載があり、且元帳台帳にもその旨の記載が為されていることが認められるけれども右壺井義正の供述する右二、七〇〇円なる金額は同日夫婦の単なる記憶に過ぎないもので領収書等確たる根拠にもとずくものではなく、たやすく信用し難く、而も証人竹内一造の第十二回公判調書中の供述記載によると貯金の額は手帳に控えていたが昭和二十九年頃貯金を引出して貰つたとき被告人方の帳簿を調べたがその記載に誤りはなかつた旨の供述がある点等を考え合せ被告人が竹内一造の貯金として壺井義正からいくらかの金員を預つたことはあるとしてもその金額が果して検察官主張の如きものであつたことについては疑いなきを得ない。結局右貯金を受取つたことについてはその証明が十分でないというのほかはない。

(4) 稲岡晃の貯金

同人の別表第一の(7)の一、九〇〇円の貯金について、被告人の供述記載(司法警察員に対する昭和三十年六月三日付供述調書)によると昭和二十六年七月二十六日稲岡晃が当時委託されて働いていた長尾上太郎方をやめるについて同人方に行き稲岡の給料の清算をして貰つた際一九〇〇円預つて帰つたというのであるが右長尾上太郎の司法巡査に対する供述調書によるとその点に関する供述記載はなく、唯貯金として毎月三〇〇円宛渡し二十二ヶ月で六、六〇〇円位あるのに帳簿には一、一〇〇円しかないと供述しているだけでこれを以て被告人の自白を裏付ける証拠とは為し難い、よつて(7)右についてはその証明は十分ではない。

(5) 鶴巻武次の貯金

同人の別表第一の(3)の一〇、〇〇〇円について被告人の供述記載(前掲六月三日付供述調書)によると鶴巻武次が勝元吉一方に委託されて働いていた際昭和二十五年五月頃から昭和二十七年十二月十三日頃まで毎月一〇〇〇円宛貯金として預つていたが昭和二十六年八月六日元帳に切替えるについて昭和二十五年五月から昭和二十六年二月までの十ヶ月分一〇、〇〇〇円を記載せずそれ以前の三、六〇〇円のみ入金として記載した旨供述して居り鶴巻武次、勝元吉一の司法巡査に対する各供述調書にも昭和二十六年六月二日以前の貯金約一〇、〇〇〇円位が元帳に記載していない旨の供述記載があり、また元帳にも昭和二十六年六月二日以前の入金については何ら記載がなく、唯昭和二十六年六月二日に昭和二十四年九月から昭和二十五年八月まで三、六〇〇円入金の記載が為されているのみである。而して右の各事実によると被告人が昭和二十六年六月二日以前において鶴巻武次の貯金としていくらかを預つていたことは認められるがその額が一万円であつたことについては右鶴巻武次、勝元吉一の供述記載も確たる根拠にもとずくものではなくこれを以てその証拠と為し難く他にこれを認めるに足りる証拠はないよつて右(8)の点についてもその証明は十分ではない。

(6) 桜井健治の貯金

同人の別表第一の(9)(10)(14)の各五〇〇円については桜井健治が小柴正一方に委託されて昭和二十六年七月頃から四ヶ月間ばかり働いていた際その間被告人は毎月五〇〇円宛計二、〇〇〇円位を貯金として受取つたこと。したがつて昭和二十六年八月、九月、十月も各五〇〇円宛を受取つたと思われること。しかるに元帳及び台帳には昭和二十六年七月十七日に五〇〇円の入金があつた旨が記載されてあるだけでその金の入金については何ら記載が為されていないことが認められる。

(7) 宮内平吉の貯金

(イ) 別表第一の(11)の六、〇〇〇円について、

宮内平吉が上野源一方に委託されて働いていた際昭和二十六年十月五日頃同人方から宮内平吉の六ヶ月分の貯金として六、〇〇〇円受取つたこと、しかるにその点について台帳には記載があるが元帳にはその旨の記載が為されていないことが認められる。

(ロ) 別表第一の(18)の三、〇〇〇円について、

宮内平吉が松本政太郎方に委託されて働いていた際宮内の三ヶ月分の貯金として、昭和二十七年二月六日頃三、〇〇〇円を受取つたこと、しかるにその点については前同様台帳には記載があるが元帳には記載が為されていないことが認められる。

(8) 土井佳一の貯金

(イ) 別表第一の(12)の一、〇〇〇円について

土井佳一が奥野郁方に委託されて働いていた際昭和二十六年十月十六日土井佳一の貯金として二ヶ月分一、〇〇〇円を受取つたこと、しかるにその点について台帳には記載があるが元帳には記載が為されていないことが認められる。

(ロ) 別表第一の(16)の一、五〇〇円について

土井佳一が西浦為之方に委託されて働いていた際昭和二十六年十二月末日頃土井佳一の貯金として三ヶ月分一、五〇〇円を受取つたこと、しかるに元帳にはその旨の記載が為されていないことが認められる。

(ハ) 別表第一の(43)の一、三五五円について、

この点について検察官は土井佳一の貯金として預つた額は昭和二十九年六月三日現在において二、三五五円あつたのにこれを払戻すに際し残高が一、〇〇〇円しかない旨欺いて一、〇〇〇円のみを同人に払戻し、差額一、三五五円を着服したというのであるが元帳の記載によると同人の貯金の収支計算の記載は明確でなく、唯昭和二十九年一月七日現在において残高が二、三五五円となつており、同月十九日一、〇〇〇円を払戻し残高が一、三五五円と記載されているに止まり同年六月三日の払戻については何ら記載が為されていない。一方被告人の供述記載(司法警察員に対する六月二日付供述調書)によると同年六月三日貯金の清算の請求があつた際一、〇〇〇円しかないと欺き一、〇〇〇円だけを返し帳簿面の残高三五五円を横取りするつもりで強制的に寄付させたとあるだけで検察官のいう如く一、三五五円の横領を認めているわけではない。而も台帳の記載によると、昭和二十九年六月三日辰己(当時土井が働いていた辰己あさの方の意)の証明により二、三五五円渡す」「預り金なし」「三五五円寄付」とあり、また土井佳一の領収書(証第五十一号)によると土井は昭和二十九年六月三日二、三五五円を受取りこれにより全額引出しを了した旨記載が為されている。これらを綜合すると被告人が昭和二十九年六月三日土井佳一に対し貯金二、三五五円を払戻した際三五五円を寄付させ残額二、〇〇〇円を支払いこれによつてその清算を了したもの、したがつて、検察官のいう如く一、三五五円を着服したものではないと認めるのが相当である。

(9) 西山宏の貯金

(イ) 金別表第一の(13)の一、〇〇〇円について、

西山晃が久保光治方に委託されて働いていた際西山の貯金として昭和二十六年十月十七日頃二ヶ月分一、〇〇〇円を受取つたこと、而してこのことについて元帳に記載があるが同人の為元帳とは別に作成されていた通帳がわりの家計簿(証第十一号)にはその記載が為されていないことが認められる。

(ロ) 別表第一の(44)の一、五〇〇円について

被告人が昭和二十九年七月十五日頃西山晃の貯金として角谷太郎から一、五〇〇円を受取つたこと、しかるに台帳には稍々あいまいながらその旨の記載のある角谷太郎作成の計算書が添付されて居るのに西山の前掲家計簿代りの通帳(証第十一号)には記載が為されていないことが認められる。

(10) 松本永進の貯金

(イ) 別表第一の(15)の五〇〇円について

松本永進が有本象次郎方に委託されて働いていた際松本の貯金として昭和二十六年十二月二十二日頃五〇〇円を受取つたこと、しかるに台帳にはその旨の記載があるが元帳には記載が為されていないことが認められる。

(ロ) 別表第一の(17)の五〇〇円について

松本永進が浅田栄三方に委託されて働いていた際昭和二十七年一月十四日頃松本の貯金として五〇〇円を受取つたこと、しかるに前同様台帳のみに記載があり、元帳にはその旨の記載が為されていないことが認められる。

(ハ) 別表第一の(24)の一、〇〇〇円について、

被告人の供述調書(前掲六月三日付供述調書)によると被告人は昭和二十七年八月頃、前記弥栄学園において農家等に委託している児童らのいわゆる籔入大会を催した際松本永進が同年六、七月分の貯金として計一、〇〇〇円を持参した旨の供述記載があり、これに照応する松本永進の司法警察員に対する供述調書の記載がありまた川見吾一の司法警察員に対する供述調書によると同年六月中頃一、〇〇〇円を松本に持たせてやつた旨の供述記載があるけれども昭和三十年八月二十五日付松本永進作成の書面によると右の一、〇〇〇円は昭和二十八年六月生根神社で行はれた成人祭のとき同人と川見吾一両名の会費として渡したもので貯金として渡したものではない。また昭和二十七年七月中頃に一、〇〇〇円を被告人に預けた覚えはない旨の記載がある。これらを考え合せると右の一、〇〇〇円についてはその授受が行はれたことは一応認められるとしてもその日時、及び趣旨の点は必ずしも明確ではない。よつて、この点についての証明は十分でないというのほかはない。

(11) 北島満博の貯金

別表第一の(21)の一七、六〇〇円について、検察官は北島満博の貯金として昭和二十七年四月二十四日当時一三、五〇〇円があつたところ、同日同人がそれまで委託されて働いていた松井進方を辞めるについて同人から七、〇〇〇円預かりその内一、〇〇〇円を北島に渡し、残額六、〇〇〇円を受取り、結局一九、五〇〇円を預つていた。しかるにこれを元帳に記帳するに際し昭和二十五年八月一日から昭和二十六年十二月十四日までの間に計一、九〇〇円のみを入金した如く虚偽の記載をしその差額一七、六〇〇円を着服したものであると主張する。ところで被告人の司法警察員に対する昭和三十年六月四日付供述調書によると、昭和二十七年四月二十四日当時北島満博の貯金として一三、五〇〇円あつた旨の供述記載があるがこの点についての北島満博の供述記載(司法警察員に対する供述調書)によつては右事実を認めるに足らず他にこれを認めるに足りる証拠はない、結局被告人の自白以外に証拠はないことに帰する。もつとも昭和二十七年四月二十四日に七、〇〇〇円を受取り内一、〇〇〇円を北島に渡したこと、しかるにこの点については台帳に記載があるが元帳には何らの記載がなく、唯検察官主張の如く昭和二十五年八月一日以降昭和二十六年十二月十四日までの間に四回に計一、九〇〇円入金の旨記載が為されていることは認められるが右元帳記載の文字のインキの色、その筆跡、文字の太さ等を彼此対照して右入金の記載がすべて昭和二十七年四月二十四日に同時に記載されたものであるとは考えられないのみならず、元帳の同年十月十七日の摘要らんに「四月二十四日七、〇〇〇円内より」とし五、五〇〇円入金の旨記載のある点から見て被告人の前記供述記載もたやすく信用し難い。よつて右一七、六〇〇円を被告人が着服したとの点についてはその証明が十分でないものというべきである。

(12) 船富彦和の貯金

(イ) 別表第一の(26)の五〇〇円(28)の一、〇〇〇円(32)の一、五〇〇円について、

船富彦和が小柴正一方に委託されて働いていた際昭和二十七年八月五日頃小柴正一から船富の貯金として五ヶ月分二、五〇〇円を受取つたこと、しかるに元帳には、「昭和二十七年八月五日二、〇〇〇円」の入金のみが記載されていること、その後昭和二十八年三月まで毎月五〇〇円宛小柴方から受取つていたもののようであるのに昭和二十七年九月分十月分として各五〇〇円の入金があつた旨が記載されているに過ぎないこと。したがつて検察官主張の如く昭和二十七年八月分の五〇〇円、昭和二十八年一月分の一、〇〇〇円、同年三月分の一、五〇〇円についてはその記載が為されていないことが認められる。

(ロ) 別表第一の(35)(36)(37)の各一、〇〇〇円について、

船富彦和が西本政雄方に委託されて働いていた際、昭和二十八年五月十三日頃二ヶ月分の貯金として一、〇〇〇円また吉野谷正夫方に委託されて働くようになつた同年五月十六日頃にも前同様二ヶ月分二、〇〇〇円、更に望月甚次郎方に委託されて働くようになつた同年六月二日頃一、〇〇〇円をそれぞれ受取つたこと、しかるに台帳には右吉野谷正夫及び望月甚次郎から受取つた分については記載されているが西本政雄から受取つた分については「毎月五〇〇円とし、五、〇〇〇円目標」とあるのみで受取りの事実の記載がなく、一方元帳には以上何れの入金も記載が為されていないことが認められる。

(13) 辻貞雄の貯金

別表第一の(29)の三〇〇円(30)の二、四〇〇円、(31)の二、二〇〇円について、

辻貞雄が笹原よしの方に委託されて働いていた際その日時は明確でないが辻貞雄の貯金及び給料として昭和二十八年一月に三〇〇円、同年二月に二、五〇〇円(検察官は二、四〇〇円と主張するがその根拠は明かでない)同年三月に二、二〇〇円を受取つたこと、しかるに元帳にはその旨の記載が何ら為されていないことが認められる。

(14) 中野清の貯金

別表第一の(33)(34)(38)(39)の各一、〇〇〇円について、

中野清が川本安雄方に委託されて働いていた際中野清の貯金として昭和二十八年三月から同年七月まで毎月一、〇〇〇円宛受取つたこと。(もつとも台帳には「昭和二十八年四月二十六日来月から貯金を実施」との記載があり果して同年三月、四月分の貯金を受取つたことについては多少の疑問がないではないが)しかるに元帳にはそのうち三月分の一、〇〇〇円のみ記載されているのみでその他は何ら記載が為されていないことが認められる。

(15) 鰍場弘の貯金

別表第一の(40)の一、〇〇〇円について、

被告人の供述調書(司法警察員に対する昭和三十年六月六日付供述調書)によれば鰍場弘が南晴二方に委託されて働いていた際鰍場弘の貯金として昭和二十九年二月九日に昭和二十八年九月分から昭和二十九年一月分まで計五、〇〇〇円を受取つた旨の供述記載があるけれども、南晴二、鰍場弘の司法巡査に対する各供述調書によつては右自白を裏付ける証拠と為し難く、他にその証拠となるものはない。したがつて右の点については被告人の自白以外に証拠はないものというべきである。

(16) 小松勇の貯金

別表第一の(41)の六、〇〇〇円について、

小松勇が高淵隆吉こと高淵貞司方に委託されて働いていたが同人方を辞めたのち昭和二十九年三月三日頃、同人から小松勇の貯金として六、〇〇〇円を受取つたこと。しかるに元帳にはその旨の記載が為されていないことが認められる。

(17) 西川俊幸の貯金

(イ) 別表第一の(45)の二、七〇〇円について、

西川俊幸を昭和二十九年五月弥栄学園に収容するに際し同人がそれまで収容されていた弘済園の山原アイより西川俊幸の給料として二、二〇〇円預つたが、その後同人が小池賢治方に委託されて働くようになつた際西川の貯金として同年同月十五日頃二ヶ月分一、〇〇〇円を受取つたこと、しかるにそのうち五〇〇円のみが台帳に記載されその余の金員については、記載が為されていないことが認められる。

(18) 小松幹仁の貯金

(イ) 別表第一の七〇〇円について、

被告人の供述記載(前掲六月六日付供述調書)によると被告人は小松幹仁が河谷ヨシヱ方に委託されて働いていた際「昭和三十年二月四日に二ヶ月分二、〇〇〇円を受取つたほか二月上旬にも七〇〇円を貯金として受取つた旨供述し、また右河谷ヨシヱの司法巡査に対する供述調書(昭和三十年五月二日付)にも同年二月に本人が小遣七〇〇円にしてくれというので貯金七〇〇円を振替えその月だけ七〇〇円を被告人に渡したと思う」旨の供述記載があり、小松幹仁も同趣旨の供述(司法警察員に対する供述調書)をしている。しかし他方右河谷ヨシヱの右供述調書によると「私方に保管している領収書によると昭和三十年二月四日に一月、二月の貯金として二、〇〇〇円を渡した」旨の供述記載があり、台帳にもその旨の記載がありしたがつて二〇〇〇円の授受については確たる根拠にもとずく供述であり十分信用することができるけれども同月中に更に七〇〇円を渡した点については「そのように思う」と極めてあいまいな供述をしており信用性に乏しいものがある。よつて右七〇〇円の授受についてはその証明が十分でないものというべきである。

(ロ) 別表第一の(46)の二〇〇円について、

被告人の前掲六月六日付供述調書によると「小松幹仁を安宿に泊めた際同人に四七〇円支払つたのにこれを六七〇円支払つた如く虚偽の記載をし、その差額二〇〇円をピンはねした」旨の供述記載があるが一方小松幹仁の司法警察員に対する供述調書によると昭和三十年三月十三、十四日の両日に二〇〇円宛計四〇〇円を引出したとき五五〇円と記帳していたのできくと宿泊券六〇円学園に泊つた代金九〇円になるからとのことだつた」旨の供述記載があり、他方台帳によると昭和三十年三月十四日付の小松幹仁作成の六七〇円の領収書が添付されているほか「受取書四〇〇円は私が勝手に六七〇円に書いたものである旨記載した同年五月八日付被告人作成の紙片が貼付されている点からみて、貯金の引出しは四〇〇円であつたがその他に宿泊料等を徴収する意味でその費用を含め六七〇円を支払つた如く記載したものであり、その記載は必ずしもその差額を着服する為に為されたものとは到底解せられない、よつて右の記載のあることを以て差額を横領したとする検察官の主張は失当である。

(二) 横領罪の成否について

以上に認定したとおり別表第一の(6)乃至(8)、(21)、(23)乃至(25)、(40)、(43)、(45)、(46)の点を除いて被告人がそれぞれ右別表記載の各金員を受取つたこと、而してその受領額について各人別の元帳等にその旨の記載が為されていないかまたはその金額に相違がありその収支の記帳はかなり杜撰なものがあることも明かなところである。検察官は右の不記載の事実を以て被告人の自己消費の目的に結びつけ横領罪における不法領得の意思の発現所為に該当するものと主張し被告人も警察及び検察庁の取調べに対しては「もともと貯金を初めたのは子供達の為というよりはむしろ自己の経営する弥栄学園の資金難を救う為委託農家から貯金を集めこれを学園の経費あるいは自己の生活費に流用する為であつた。元帳に入金を記載しなかつたのもこれを自己が着服する為であつた旨供述している。したがつてこの点のみをとらえるとあるいは横領罪が成立する疑いは十分にあるといい得るけれども、右供述内容は他の関係各証拠と比較して取調官に確たる資料もまた記憶も十分でない各被害者または委託先の供述をもとにして、これに照応する供述を強いられて虚偽の自白をしたと認められる節がありたやすくこれを信用し難いものがあるがその当否は姑くおき先づ本件「幸福の村貯蓄組合」そのもの法律的性質について検討してみる必要がある。けだし、その性質如何によつては被告人の受取つた金員について委託者においてその費消を許容する場合とこれを制限乃至禁止する場合とがあり、そのいずれに属するかにより横領罪の成否に直接関係するからである。よつてこの点について検討を加える。

被告人発行の「いやさか新聞第三〇号昭和二十五年五月一日号」(証第六号の一部)によると本件「幸福の村」貯蓄組合(一名「幸福の村」こども銀行とも称する)規約は次のように定められている。すなわち、第一条にこの組合は貯蓄の実践を目的とし財団法人弥栄学園におく

第二条に「幸福の村」委託生(里子)委託者(里親)は組合長に申出で自由にこの組合に加入し又脱退することができる

と貯金の目的と組合員の資格について規定し

第五条に貯蓄の払戻しは予め組合長に申出で自由とする。

第六条に組合員は希望する金額を組合長の名義を以て株式会社三和銀行阿倍野橋支店へ預金する。通帳証書等は組合長が代表者であることを明示する。組合員の為に組合貯金台帳(各人別貯蓄明記帳を併置)を備える。

組合員は右の帳簿を自由に閲覧することができる。

此の組合の利子又は利益は各組合員の貯蓄額の元本額の積数によりこれらを計算する。利子、利益は八月及び翌年一月の「委託生籔入大会」の費用その他厚生費の一部として使用すると定め貯金の払戻、保管方法、利子、利益の使途について規定するほか利子の使用明細は「いやさか新聞紙上」に発表し預金高は毎年八月、一月発行の「いやさか新聞」に発表することとされている。

検察官はこの規約から被告人は組合の代表者として組合員を代理してその金を三和銀行阿倍野橋支店に預け入れ又は払戻しを受けることができるに過ぎずその間被告人において自由にこれを費消することは許されない旨主張する。しかし右組合の性質を右規約の文言のみによつて形式的にこれを判断することは当を得たものではない。被告人が右の組合をつくるに至つた目的、動機にまでさかのぼり更にその運営についてその実態を具さに検討してこれを判断する必要がある。ところで被告人経営の弥栄学園はさきに認定のように救護院、次で養護施設に更には精神薄弱児施設とそれぞれ転換されたがそこに入所または収容される児童らはその名のとおりもともと不良行為を為し又はそのおそれのある者、または保護者のない戦災孤児、浮浪児等であつて、その保護養育期間にも自ら法律上の制限があり、その期間満了後も収容を続けて行く場合その児童の疾病、衣類その他の身廻品の購入に要する経費あるいはその性質等から第三者に損害を加えるおそれも十分ありその補填の為の経費も必要(事実前掲台帳によると収容児が委託先においてしばしば窃盗を働き損害を加えている事実が散見されるところである。)であることのほか、一面知能程度も低く、勤労意欲は勿論貯蓄心にも乏しい児童らにこれらの点について認識を深めると共にそのことによる喜びを身を以て体験させ更生のあかつきには自活の資金としてこれを払戻すこと、かくすることは児童らの更生を促進する所以であるとの考えから本件貯蓄組合をつくることを思いついたもので畢竟するに本件貯蓄組合の主たる目的はその「幸福の村こども銀行」の名が示す如く収容児童らの更生保護に資するにあつたこと、(このことに被告人の当公廷の供述及び前示経歴からも窺い知ることができるところであつて右認定に反する警察、検察庁における供述記載は信用し難い)前記組合規約をつくるにあたつては児童及びその委託先に諮つたこともなく、当時被告人と取引のあつた前記三和銀行阿倍野橋支店長に相談し同支店長につくつて貰つたもので要は組合としての形式を調える必要からつくられたものであり、これを当時被告人が発行していた前掲いやさか新聞紙上に発表したものであること。而して右支店長の要望もあつて規約にある如く児童の個人別預金は事務が極めて煩雑であるのでこれを統合して一括預金をすることとしすべて組合長としての被告人名義で預金し個人別の収支については別にカード式(証第九号)によることとしたこと、而してその後の組合の運営はすべて被告人がこれに当つていたこと、その方法を見ると貯金はその殆どが児童らの委託先に被告人が出向いてこれを集金しその範囲を極めて広域にわたつていたのと委託児童が多数且つその出入りも頻繁であり而も被告人ひとりがその事務を行つていた為勢い前記個人別のカード式帳簿の整理も遅れ勝ちとなるのみならず遺忘等もあつて極めて杜撰な記帳となりその正確を期し難い状態となつた為日の経過と共に児童らのカルテとも称する前掲台帳によりこれを整理するようになつたこと。しかしこれも前記のような事情でその記載は必ずしも正確とはいい難いこと。しかし右元帳、台帳の記載が不正確であつたとは言え被告人は児童らの委託先より貯金を受取つた際はすべてその都度被告人名義の受取証を交付し、また一方児童らに貯金を払戻した場合にもその者から同様受取証を受取りこれら受取証により貯金の収支を清算し得る状態にあつたこと。しかし前記の如く貯金は殆どすべて児童らの委託先から集金し児童らから直接受取ることは極めて稀であつた為児童ら自身は自己の貯金額についての正確な認識はなく、唯被告人を信頼して被告人にその保管、運営一切を委ねていたこと。而してそれは宛も子が親を信頼して親に貯金一切を任しているに等しい状態であり、その事はさきにも触れた如く右組合を一名「こども銀行」と称し被告人がその銀行となり被告人自身に対して預金し三和銀行に預金するのにその保管の方法に過ぎないと言つても決して過言でない状態であつたこと。(勿論このことの為に被告人がこれを勝手に処分する不正行為を働く契機ともなり得るがそのことは姑くおく)児童らの貯金額の多額な者に対しては弥栄学園で農家等に委託され児童らを集めて開くいわゆる籔入大会の席上これを表彰すると共にその者の氏名及び貯金額をいやさか新聞紙上に発表し貯蓄の奨励につとめていたこと。また貯金の引出しについてはなるほど前記規約によれば自由とされているものの被告人においてその引出しが前記貯蓄の目的に照して児童らの為に好ましくないと考えられる場合はこれを制限乃至禁止しその使途の正しいものあるいは已むを得ないものと認められる場合にのみ引出し要求に応じていたこと。更に貯金に対する利子または利益については前記規約にある如く貯金額に応じてこれを計算するがそれはすべて当時弥栄学園で行われていた前記籔入大会の費用及びその他厚生費の一部として使用することとされて居り一般の貯蓄が利殖を主たる目的とするに反しこれはあげて学園の経費に使用することが許されていたこと。(このことは各被害者が利息のことに関しては何ら触れていないことからも窺はれるところである)本件貯蓄蓄組合をつくつてのち、被告人が数多くの児童らの為にとの委託先より貯金として預かりこれを自己名義に預金し本件起訴当時までにその大半は児童らの独立、更生した際その都度その清算を終り唯行方不明等の理由により払戻不可能なもののみが預金として残つているに過ぎなかつたこと。以上の各事実が認められる。右の如く本件貯蓄組合は児童らの更生に資することを直接の目的としてはじめられ規約内容についても預金者である児童らに諮つたものではなく、貯金も預金者たる児童らから直接受取ることはなく殆ど被告人が委託先からこれを集金する方法をとりこれを児童らの個人別ではなく、一括して被告人名義(組合代表者ではあるが)で預金し而も預金に対する利子利益は預金者に支払はずすべてこれを学園の経費に使用するものとされて居たほか預金引出も形式上は自由としながら具体的事情に応じてこれを制限し、終局的には児童らの更生独立したあかつきにこれを清算して払戻すものとしその間の預金の保管、運営等はすべて被告人に一任され預金の種別、預け先、銀行の変更も被告人において自由に行つて来たものであること等を考え合せると被告人が児童らの委託先より貯金として集金して来た金員はこれを特定物として受取つたものではなく単に一定の金額として(これをある程度纒つたのち一括して同価値のものを預け入れれば足りることを考えよ。)委託を受けたものと解せられないものではなく、さすればその所有権はむしろ受託者である被告人に移転し被告人は児童らが更生し自活できるようになつたあかつきその預け入れた金額を清算してこれと同額の金員を児童らに支払えばよいものと解するのが相当である。したがつて本件の貯蓄組合はむしろ消費寄託の性質を有するものと認めるのが相当である。果してそうだとすれば前認定の金員授受の不明確の点を除き(否、仮にすべてその授受があつたとしても)仮にこれを学園の経費等に流用したとしてもこれは自己のものの費消であり何ら横領罪を構成するものではない。(仮に右の解釈が容れられないとしても検察官主張の如く被告人が委託先から貯金として金員を受取つた日に着服横領したものと解することはその整理に時間を要すること等を考え合せ当を得たものではなくまた右金員を直ちに元帳等に記載しなかつたことを以て直ちに横領の不法領得意思の発現行為があつたものとするにはすでに一部支払を了していること等を考え合せ末だその証明が十分でないものというべきである)

四、職業安定法違反の公訴事実に対する判断

被告人の当公廷の供述、司法警察員に対する昭和三十年五月二十日、二十一日、四月五日付各供述調書、証人高淵貞司、梶佐太郎、藤本勇、(以上第九回)竹内一造、稲岡晃、藤本勇(以上第十二回)檜原義和、田中武二(以上第十三回)小西勝三郎、久保光次(以上第十七回)藤原勢太郎、貝淵武吉(以上第十八回)籔野皓司、奥田久三郎、高島源次郎、小西一雄(以上第二十八回)抱マキ、谷川幸一郎、樋川愛之助(以上第二十九回)の各公判調書中の各供述記載、別表第二の各斡旋先の各少年雇入顛末書あるいは司法警察職員に対する各供述調書、弁護人提出の新聞記事、前掲台帳(証第七号)等関係証拠を綜合すると被告人が起訴状(昭和三十年七月十一日付)添付の別表第二の斡旋先らん記載の者(主として農家)に家庭裁判所、保護観察所より補導委託を受けあるいは中央児童相談所より送致を受けた被斡旋者らん記載の児童らを右斡旋先の家業を手伝はせる為に住込ませその際取得金らん記載の各金員をその記載の名目(その日時取び費目等に多少の相違はあるが)でそれぞれ受取つたことは略々認められるところである。ところで被告人のした学園収容児童らを右の如く農家等に手伝の為に住込ませて働かせたこと、その際に交通費等を受取つたことが果して職業安定法にいわゆる有料職業紹介事業に該当するであろうか、検察官は被告人が受取つた交通費は実費をはるかにこえて居りまた謝恩会費、後援会費というもそれは単なる名目だけであり、実質的には紹介に対する対償であると主張し右の行為を有料、職業紹介に該るものと主張する。

ところで職業安定法第五条によると同法にいう職業紹介とは求人取び求職の申込を受け求人者と求職者との間における雇用関係の成立を斡旋することをいうものとされ、また有料の職業紹介とは実費職業紹介及び営利職業紹介をいい、実費職業紹介とは営利を目的としないで行う職業紹介であつて職業紹介に関して実費としての入会金、定期的掛金、手数料その他の料金を徴収するものをいい、営利職業紹介とは営利を目的として行う職業紹介をいうものとされてあるところ被告人の行つた行為が果して右の意味における職業紹介に該当するであろうか。このことを判断するに当つては被告人が何故に農家等に学園収容児を住込ませて働かせるに至つたかについては被告人の児童少年保護事業の目的その運営の方法と当時の社会状勢との関連においてこれを考察する必要がある。そこでその点について考えて見ると被告人は終戦後の社会に氾濫した戦災孤児、浮浪児等保護者のない児童らを救う道は彼らに食糧を与えその荒んだ心を暖く抱擁してやる家庭を探してやることにあると考えその保護救済と更生に乗り出しその為には彼らを当時手不足に困つていた農家に住まわせて農家に従事させ勤労精神を涵養すると共に家庭的雰囲気のなかで生活させるに如くはないとの考慮から法律的には正式のものではないが児童福祉法上のいわゆる「里親」あるいは「職親」(保護受託者)の制度に準じて児童らを農家等に委託をはじめこれらを一体とし「幸福の村」と名付けて彼らの保護育成に全力を尽すに至つたこと。而して当初は戦災孤児、浮浪児らを中心とするものであつたがその後家庭裁判所あるいは保護観察所よりも保護観察に付せられた少年の補導委託あるいは引取者のない児童らについても委託を受けこれを学園に収容補導を行うようになり、かくして被告人はこれら委託を受けた少年らを更に職業補導の一環として農家等に委託して農業に従事させていたこと(児童福祉施設最低基準第七十一条参照)このことは家庭裁判所に対しても被告人よりその旨の報告書を提出しあるいは少年調査官より「農家委託をすれば最適との御意見であり又委託について御世話願えるようで云々」なる被告人宛の書信のあること(台帳参照)または家庭裁判所の回答書に少年を弥栄学園に委託した趣旨について「少年の行動観察の方法として実社会に適応する勤労精神及び独立意欲を助長させる為の実習及び作業補導を委託実施させもつてその更生を意図する」ものとし、また保護観察所の回答書にも右委託の趣旨について「引取者のない者等についてその衣食住及び生活指導ならびに農業補導をして勤労精神を養成するにある」と為されて居りこれらの点から推して家庭裁判所、保護観察所もともに被告人が受託児童らを前記の如く農家委託することは職業補導の方法として行うことを容認していたことが見られること、(もつとも当時終戦末だ間もない頃のことでもあり農家においては人手不足に悩んでいたことは公知の事実であり被告人より児童らを斡旋して貰うことを大いに歓迎していたことは否めない事実でありその為あるいは児童らの労働力のみに頼る傾向があつて更生が等閑に付せられ事志に反する結果となる例もないではなかつたようである。)かくして収容児童、少年を農家委託した人員は昭和二十二年以降昭和三十年までの間に延千五百人近い数にのぼり、内、家庭裁判所、保護観察所から委託を受けたもの約六百名にのぼつたことが認められる。これをその外観のみに着目するとあるいは検察官の主張する如く前記の如き意味における職業紹介に該当するもののようであるが、それは事の実態を把握しない皮相の見解というべきであつて到底容認することはできないところであつてその実態は以上認定の事実によつて明かである如く被告人の行つた農家委託は職業紹介として行つたものではなく、児童らの補導の一方法として児童らに家庭的雰囲気を味はせて更生させる意図のもとに為されたものと解すべきが相当であろう。ところが被告人がその際委託農家から前認定の金員を受取つているのであるがこのことを如何に解釈するか、被告人の農家委託の目的が右に認定した如く職業紹介として行はれたものではなく補導の一環として行はれたものであることを考えると交通費として受取つた金員が時には実費をこえる場合もあつたもののようであるがその殆どが文字どおり交通費あるいは弁当代の実費あるいは寄付金として受取つたものであつていわば社会的儀礼の範疇に属するものというべく児童らを農家に斡旋した対償すなわち報酬として受取つたものとは解せられない。被告人は警察及び検察庁における取調べにおいては検察官の主張に沿う供述をしているけれどもそれは外形的事実をもとにして唯これを法律的に当てはめる為各供述を強いられたものと考えられる節がありその供述の信用性は極めて乏しいものがあり到底これを採用することはできない。よつて被告人の前記各所為は何ら職業安定法違反罪を構成するものではない。

五、食糧管理法違反の公訴事実についての判断。

被告人の当公廷の供述及び司法警察員に対する昭和三十年六月一日付供述調書、証人佐野清の第十六回公判調書中の供述記載同人の検察官に対する供述調書等関係証拠によると昭和三十年三月、当時前記弥栄学園において収容児童の主食の配給については大阪市住吉区万代東六丁目十五番地住吉東米穀販売店こと大野安太郎方に登録して配給を受けていたこと。ところが学園の経理状態が悪く配給のある都度現金払で配給を受けることができなかつた為現金払ができる都度配給を受けていた。ところが被告人は同年三月二十七日前記米穀店に行き当時未だ配給を受けるべくして受けていなかつた米の量を問合せた結果内地米、準内地米及び外米を合せて約六九〇キログラムあり、そのうち相当日時の経過したものは配給を受ける権利を抛棄したものとし結局同年三、四月分として内地米二五四キログラムのほかに外米もあつたが同店々員佐野清から三月末で年度がわりになるので早く配給をとつて欲しい旨の要求を受けるとともにもし配給を受けないのであれば自分に売つたことにしたらどうかという申出があつたので被告人は同人の申出でどおり未だ配給を受けていない米のうち内地米二五四キログラムについてのみ同人に売つたことにしようということになり当時の配給値一九、四二一円といわゆる闇値二三、〇七一円との差額三、六五〇円を同人から受取つたことが認められる。ところで食糧管理法第九条第一項によると「政府は主要食糧の公正且適正な配給を確保しその他本法の目的を遂行する為特に必要ありと認めるときは政令の定むるところにより主要食糧の配給、加工、製造、譲渡その他の処分……に関し必要な命令を為すことを得」と規定されこれにもとずく同法施行令第八条によると主要食糧の適正な流通を確保するため……主要食糧を所有する者に対しその者の行う主要食糧の譲渡に関しその相手方又は時期を制限することができる」とされ更に同法施行規則第三十九条によると一定の場合を除いては「何人も米穀を政府以外の者に譲り渡してはならない」ものとされている。右各規定の趣旨とするところは米穀をできるだけ正規のルートに置く為本来米穀を政府に売渡す場合及びその他法定の除外事由のある場合を除いてはこれを他に譲渡する一切の行為を禁止するにあることは明かなところでありまた右の譲渡が売買、贈与等現実に(米穀の所有権を移転する行為を指称することは)米穀の移動を制限した法の趣旨に照し明かなところである。ひるがえつて本件を見ると前記認定のとおり被告人は単に配給を受けていなかつた内地米について佐野清の申出でによりこれを一旦自己が買受け更に佐野に売渡した形式をとつたに過ぎず米穀自体の移動は何らなく実質的には被告人が同米穀の所有権を取得したこともなく唯自己の配給を受ける権利を佐野に譲渡したというよりはむしろ配給を受ける権利を抛棄しその代償として配給値と、闇値との差額を受取つたに過ぎず、米穀そのものを佐野に売渡したものということはできない。検察官は米穀の引渡が現実に行はれなかつたとしても配給を受ける権利のある者がこれを買受ける意思表示をする(買つて売るという)ことによつてその所有権は買主に移転するものであるからいわゆる簡易引渡の方法による売買が行はれたものと主張するけれども右は余りにもうがち過ぎた見解であつて当を得ないばかりでなく仮に売買が行はれたものとしても本件の如く不特定物の給付を目的とする売買――殊にいわゆる限定種類債権と目すべき場合――においてはその目的物の特定のないかぎり所有権は単なる意思表示のみによつて移転するものではない(民法第四〇一条参照)被告人の司法警察員及検察官に対して検察官の主張に沿う供述をしているけれどもそれはいわゆるこじつけによる理詰めの供述を強いられた疑いが濃厚であつて到底信用することができない。

よつて前記被告人の所為は何ら食糧管理法違反罪を構成するものではない。

以上要するに業務上横領、職業安定法違反、食糧管理法違反の各公訴事実については外形的事実のみを見るときは被告人に疑う余地は十分にありまた一応各公訴事実に沿う被告人の自白はあるけれどもその自白は各行為の実態を深く検討することなく外形的事実のみを捉えこれにもとずき取調官の見解を一方的に押しつけたと疑はれる節が極めて多くその信用性に乏しいものがあり、結局その証明が十分でないかあるいは犯罪を構成しないものというべきであるから刑事訴訟法第三百三十六条によりそれぞれ無罪の言渡を為すべきものである。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 瓦谷末雄)

別表 第一、第二(略)

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